【師匠シリーズ】 先生 前編 1/3
師匠から聞いた話だ。
長い髪が窓辺で揺れている。
蝉の声だとかカエルの声だとか太陽の光だとか地面から照り返る熱だとか、そういうざわざわしたものをたくさん含んだ風が、先生の頬をくすぐって吹き抜けていく。
先生の瞳は、まっすぐ窓の外を見つめている。
僕は、なんだか落ち着かなくて鉛筆を咥える。
こんなに暑いのに、先生の横顔は涼しげだ。
僕は、喉元に滴ってきた汗を指で拭う。
じわじわじわじわと、蝉が鳴いている。
乾いた木の香りのする昼下がりの教室に、僕と先生だけがいる。
小さな黒板には、チョークの文字が眩しく輝いている。
三角形の中に四角形があり、その中にまた三角形がある。
長さが分かっている辺もあるし、分かっていない辺もある。
先生の描く線はスッと伸びて、クッと曲がって、サッと止まっている。
思わずなぞりたくなるくらいの綺麗な線だ。
それからセンチメートルのmの字のお尻がキュッと上がって、実にカッコイイ形をしている。
「三角形の中の四角形の中の三角形の面積を求めなさい」と言われているのに、そんな事がとても気になる。
それだけの事なのに、本当にカッコイイのだ。
mのお尻に小さな2をくっ付けるのがもったいない、と思ってしまうくらい。
「出来たの?」
その声に、ハッと我に返る。
「楽勝」
僕は、慌てて鉛筆を動かす。
「と、思う」と付け加える。
先生は一瞬こっちを見て、少し笑って、それからまた窓の外に向き直った。
背中のはげかけた椅子に腰かけたままで。
僕は小さな机に目を落としているけれど、それが分かる。
また、蝉の声だとかカエルの声だとか太陽の光だとか地面から照り返る熱だとかが風と一緒に吹いてきて、先生の長い髪がさらさらと揺れた事も。
白い服がキラキラ輝いていたことも。
二人しかいない教室は時間が止まったみたいで。
僕はその中にいる限り、夏がいつか通り過ぎるものだなんてことを、なかなか思い出せずにいるのだった。
小学校六年生の夏だった。
夏休みに入るなり、僕は親戚の家に預けられる事になった。
その母方の田舎は、電車をいくつも乗り継いでやっとたどり着く遠方にあった。
小さい頃に一度か二度連れてこられる事はあったけれど、一人で行かされるのは初めてだったし、「夏休みが終わるまで帰ってこなくて良い」と言われたのも、当然初めての事だった。
厄介払いされたのは分かっていたし、一人で切符を買う事や道の訊ね方について、それほど困らないだけの経験を積んでいた僕は、むしろ「帰ってこなくて良い」の前に、「夏休みが終わるまで」がくっついていたことの方に安堵していた。
田んぼに囲まれた畦道を、スニーカーを土埃まみれにしながらてくてく歩いて行くと、大きなイブキの木が一本垣根から突き出て、葉を生い茂らせている家が見えてきた。
この地方独特の赤茶色の屋根瓦が陽の光を反射して、僕は目を細める。
その家には、おじさんとおばさんとじいちゃんとばあちゃんと、それからシゲちゃんとヨッちゃんがいた。
おじさんもおばさんも、親戚の子供である僕にずいぶん優しくしてくれて、「うちの子になるか?」なんて冗談も言ったりして、二人とも農作業で真っ黒に日焼けした顔を並べて笑った。
じいちゃんは、頭は白髪だったけど足腰はピンとしていて、背が高くて、「ガハハ」と言って僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でたりして、それが痛かったり恥ずかしかったりするので、僕はその手から逃げ回るようになった。
ばあちゃんは、小さな体にチョンと夏みかんが乗っているような可愛らしい頭をしていて、何かを持ち上げたり布巾を絞ったりするときに、「エッヘ」と言って気合を入れるので、それがとても面白く、こっそりマネをしていたら本人に見つかって、怒られるかと思ったけれど、ばあちゃんは「エッヘ」と言って本物を見せてくれたので、僕はあっという間に好きになってしまった。
シゲちゃんは名前をシゲルと言って、僕と同い年の男の子で、昔僕がもっと小さかった頃にこの家に遊びに来た時、僕を子分にしたことを覚えていて、僕はさっぱり覚えていなかったけれど、まあいいやと思ったので子分になってやった。
ヨッちゃんは名前をヨシコと言って、シゲちゃんの二つ年下の妹で、目がくりくりと大きく、おかっぱ頭の元気な女の子で、僕の顔や服の裾から出ている体の色が白いのを見て、「トカイもんはヒョロヒョロだ」と言ってバカにするので、そうではない事を証明するのに、泥だらけになって日が暮れるまで追いかけっこをする羽目になった。
トカイもん。
田舎に来てまず感じたのが、この言葉のむずむずする肌触り。
僕には決してトカイの子などという認識はなかったのであるが、この小さな村の子供達からすると、テレビのチャンネルがNHKの他に三つ以上映ると言うだけで、それは十分トカイの条件を満たしてしまうようだった。
シゲちゃんはそのトカイもんを、さっそく地元の悪ガキ仲間に引き合わせてくれたので、とにかく毎日ヘトヘトになるまで僕らは一緒に駆け回り、泳ぎ回り、投げ回り、逃げ回った。
小学生最後の夏休みなのだ。
アタマが吹っ飛ぶくらい遊ぶのは、子供の義務なのである。
タカちゃんやらトシボウやらタロちゃんなんかと仲良くなった僕は、どいつもこいつもそろって足が速い事、そしてまた、並べてフライパンで焼いたように色が黒い事に、いたく感心した。
なるほど。
「トカイもん」と自分達を区別したくなるのも分かる気がする。
僕の周囲にいた子供達とは、少し違っている。
朝早くから虫カゴと網を持って山に入ったかと思うと、ヒグラシが鳴き止むまで下界に下りてこず、いざ帰ってきた時には、手作りの大きな虫カゴが満タンになっているのだけれど、その夜それぞれの親に、早く家に帰らなかったことについてコッテリ絞られた後だというのに、次の日には、また颯爽と朝早くから虫カゴと網を持って山に駆け上って行く、という具合だ。
その中でも、シゲちゃんはとびきりのやんちゃ坊主で、それになかなかの親分肌だった。
いばりんぼで喧嘩っ早かったけれど、子分のピンチには一番に駆け付けて「ヤイヤイ」と凄んだり、「逃げろ」だとか「とにかく逃げろ」とか言った的確な指示を出して、僕らを窮地から救い出してくれたりした。
背丈は僕と同じくらいだったけれど、ギュウギュウに絞った雑巾のような筋肉が全身に張り付いていて、その足が全力で地面を蹴った時には、大きな水たまりを楽々と飛び越し、あとから飛んだ僕らの足が水溜りの端っこで泥水を撥ねるのを、振り返りながら鼻で笑ったものだった。
ただ、そんなシゲちゃんの親分っぷりの中にも、生来のイタズラ好きが首をもたげてくると、僕らはその奇抜さ、迷惑さに閉口した。
山で見つけた変なキノコを、「キノコの毒は火を通せば大丈夫」などと言って、うっかり信じたトシボウに食べさせた時など、腹を抱えて昏倒した挙句に、医者に担ぎこむ騒ぎになったし、落とし穴づくりに関しては、それはそれは恐ろしい『穴の中身』を用意する事で知られていた。
ある時は裏山の竹やぶに僕らを集め、何をするのかと思っていると、シゲちゃんは「あ、人が落ちそう」と、崖の方を指さして叫んだ。
見ると、確かに誰かが竹やぶの端っこから落ちそうになって、竹の子に毛が生えたような細い竹にしがみついている。
それは、今にもポキリと折れそうに見えた。
わあわあ言いながら慌てて駆け寄ると、なんとそれはワラと布で出来た人形で、シゲちゃんに一杯食わされた僕らは怒ったり、あんまりその人形がよく出来ていたので感心したりしていたけれど、間の悪い事に、山菜を採りに来ていた近所のおばさんが、そのシゲちゃんの「人が落ちそう」を耳にして、遠くから僕ら以上に慌てて人形に駆け寄ってきたものだから、途中で竹の根っこに躓いてスッテンコロリンと転がり、危うく崖から落っこちるところだった。
僕らはそのおばさんに叱られ、それぞれの家で叱られ、とにかく散々絞られたのであるが、シゲちゃんはさらに人形の出来が良すぎたせいで、カカシの作成をじいちゃんに命じられ、家の田んぼと畑のカカシを全部作り直させられていた。
その間シゲちゃんは遊びにも行けずに、うなだれながらカカシをせっせと作っていたのだけれど、その眼の奥には、次のイタズラを考えている光がぴかりと灯っていて、僕らにはそれが、頼もしかったり迷惑だったりしたものだった。
田舎暮らしにもすっかり慣れて、シゲちゃん達ほどではないけれど、僕の体にも日焼けが目立ち始めたある日、「鎮守の森へ行こう」というお誘いがかかった。
鎮守の森は、北の山の峰に沿ってズンズン分け入った奥にある。
高い山に囲まれているせいで、太陽が東や西よりにある時間そのあたりは昼間でも暗くて、真上に昇っている時でも、生い茂るクスノキやヒノキの枝や葉っぱで光が遮られ、その森の底を歩く僕らには、ほんのかけらしか漏れてこない。
それだから、シゲちゃんとタロちゃんの後を追いかけて、ようやく鎮守の森の中央にたたずむ神社を見つけたときには、なんだか厳粛な気持ちになっていた。
今まで太陽の熱が暴れ回る場所で遊んでいたのに、ここは黒い土に地面が覆われ、空気はしっとりしていて、身体の中から冷えていくような感じがする。
それまでに登った他の山や森ともどこか違う。
「カンバツもほとんどしとらんから」と、シゲちゃんは言った。
その頃はカンバツと言うのが何なのかよく分からなかったけれど、きっとそれをしないのは、ここが鎮守の森だからなのだろうというのは理解できた。
ひっそり静まり返った参道を通って、(後から思い出すと、蝉がうるさいくらいに鳴いていたはずだったのに、確かにその時はそう思ったのだった)ちんまりした神社の本殿に辿り着く。
光も影も斜めに屋根や板壁に走り、それがずっと何百年も昔からそこにそうやって張り付いているような気がする。
時々サラサラと葉っぱの形に揺れて、そんな時にようやく僕は時間の感覚を取り戻した。
「チャリン」
と音がしてそちらを向くと、賽銭箱の前にシゲちゃんが立っている。
ボロボロで苔が生えていて、誰かがお賽銭を回収しているのかどうかも怪しい。
実は江戸時代からのお賽銭がごっそりと溜まっているんじゃないかと覗いてみたけれど、暗くてよく分からず、それでもごっそりと溜まっている感じでも無かったので、どうやらここへ参拝に来る人自体がめったにいないんだろうと僕は考えた。
そして、ズボンのポケットから10円玉を取り出して投げ入れる。
その神社に何の神様が奉られているのか誰も知らなかったけれど、「チリン」というとても良い音がしたので、僕はその音に手を合わせた。
やがて「もう帰ろうぜ」とタロちゃんが言って、境内から出たがり始める。
心なしか内股でもじもじしている。
どうもおしっこを催してきたらしい。
口ばかり達者なくせに怖がり屋な一面があるタロちゃんは、この鎮守の森の奥深くに眠る神社の聖域を、おしっこなんかで汚してしまう事に恐れを感じているようだった。
要するにビビってたわけだ。
僕とシゲちゃんはタロちゃんを苛める事よりも、その場を離れる事を選んだ。
僕らも僕らなりに、その森に何か近寄りがたいものを感じていたのかも知れない。
クスノキが枝葉を手のように伸ばす薄暗い参道を抜け、また黒土の山道に出る。
気が焦っているタロちゃんが、「あれ、どっちだっけ?」とキョロキョロしていると、シゲちゃんが「こっち」と、元来た道の方を正しく指さした。
僕はふと、反対方向へ抜けるもう一つの道に目をやった。
道はすぐに折れ、木立の群に飲み込まれてその先は見えない。
この道の先はどこに通じているのだろう。
むくむくと好奇心が湧き上がってくる。
「こっちは何があるの?」
そう聞くと、シゲちゃんは「なんにもないよ」と言って、さっさと元の道を戻り始めた。
僕はその奥に行ってみたい誘惑にかられたけれど、一人で鎮守の森に残される心細さがじわじわと胸に迫ってきて、その場に立ちすくんでしまった。
そうしていると、いきなりバサバサと頭の上の木のてっぺん辺りから大きなものが飛び立つような音と気配がして、思わず見上げると、その瞬間に覆いかぶさるような木の枝や葉っぱやそこから漏れる光の繊維が、ぐるぐると僕の視点を中心に回り出したような感覚があった。
頭がくらくらしたのとビビったのとで、森の奥へ行ってみたい気持ちは引っ込み、一目散にシゲちゃん達の後を追いかけた。
(つづく)